300、観た。
by ryoki on 6 月.04, 2007, under 徒然
300(スリーハンドレッド)の先行上映ってやつをやってたので、観てみた。
全体のストーリーはほぼ期待通り。
昨今「日本の品格」「武士道」あたりに興味がある自分にヒットしないわけがない。
なんて、これらと紀元前500年ごろのスパルタの出来事が共通するなんて、言い過ぎだろうか。あるいは、いいかげん過ぎ?!
いずれにしろ、テーマを自分なりに解釈すれば、「誇り」と「意志」となる。
アクションシーンの映像エフェクトは好き嫌いが分かれるのではないか。
爽快、気持ちいい、リアル、いやリアルじゃない、気持ち悪い、色々とあるかもしれない。
個人的には、残虐過ぎて気持ち悪いとか、そういった感情は全く生まれなかった。
日本のゲームや映画(例えばバーチャファイター)の影響を受けているように感じた。
また、マトリクス(個人的にはこちらの戦闘シーンのが、芸術的で好き)やラストサムライも連想した。
ああ、そういえば、ロードオブザリングを思い出したりもしたな。ちなみに戦闘シーンではなく、とある登場人物が連想させた。
ところで、今たまたま、「田中正造の生涯」(林竹二著)を読んでいる。
近くの古本屋で150円で見つけたものだ。
彼と谷中村に残留した人々の戦いは、300人のスパルタンと同じ戦いだと思う。
武士の切腹とも共通する。
自由意志は不可侵だということ。
否、自由意志は不可侵となりうるが、その人次第、と言い直しておこう。



6 月 5th, 2007 on 17:01:01
こんにちは。私の出身地栃木県では小学校の道徳の時間(いや社会科だったかな?)、嫌というほど田中正造氏のお話を教わります。足尾銅山、直訴、等々。しかーし、大変失礼ながら詳細はほとんど忘れてしまいました・・・だめですねぇ。
旧谷中村は実家から車で15分くらいのところ、現在の渡良瀬遊水池に跡が少しだけ残されてます。遊水池と公園はきれいに整備され、高校のヨット部が練習していたり、子供が遊んでいたりと平和な雰囲気しかありませんが、裏には大変な闘いがあったのですよね。
(つまらない写真しかありませんがhttp://blogs.yahoo.co.jp/haruyk2/folder/943563.html?m=lc&p=3
ご参考まで)
6 月 6th, 2007 on 01:19:39
どうもご無沙汰してます。
写真どうもでした。
今は美しいとこなんですね。
昔の闘いの跡は、もはや影も形もないのでしょうか。
田中正造氏のことは、やはり本を当たってもらうのが良いと思いますが、要してみれば、こんな感じでしょうか。
田中氏は、政治家になって足尾銅山事件と出会い、政治家として11年議会で闘いましたが、政府と企業(※)の癒着によって一行に解決しない現実に直面し、もはや「無政府」と嘆きます。その後、政府は被害民に対し、法律(示談契約書)や風説、「村を売る」ことを望む有力者などを巧みに利用した「示談工作」を図り、これを目の当たりにした彼は「政府が人民を保護しないのなら、自ら助くる他ない」という考えに至ります。自治に近い考えですかね。そして彼は、主戦場を谷中村に移します。
足尾銅山の鉱毒で死の川となった渡良瀬川は、銅山の鉱石や土砂、恐らくは川や土壌が貯水機能を失った影響もあって(当時はそこまでわかってなかったろう)、洪水が頻発するようになったそうです。それを防ぐために政府は、谷中村を潰して貯水池にすることに決めました。田中氏は銅山問題を谷中問題に摩り替えたとして政府を非難し、自ら谷中村に入り、村民とともに闘います。9年間村に留まり闘ううちに彼は、「村民を守ってやる」と考えていた己の愚を悟り、“非暴力不服従による自由の闘い”を黙々と続けていた谷中村民こそ「日本第一智謀者」であるとして、彼らを師として仰ぎ、余生を谷中村で過ごしました。
(※)ちなみに「企業」というのは、古河財閥の祖、古河市兵衛氏率いる古河鉱業、現在の古河機械金属。簡単に言えば富士通の祖父会社みたいなものですね。実は外延情報だけでもその癒着の想像は難しくないんです。その時の内務大臣は原敬氏。のちに第19代総理となる彼は、同社の副社長を務めたそうです。また、陸奥宗光氏の息子は古河市兵衛氏の婿養子となり、同社の二代目社長となりますし、陸奥氏本人も余生を旧古河庭園で過ごしたようです。この頃のことを、古河側から書くとこうなりますし、田中正造派が書くとこうなります。面白いですね。しかし、社会科の教科書だけでは、彼らは“歴史上の偉人”としか感じられなかった。教育とは怖いものです。
ああ、長くなった。一つの記事にしようかと思ってたけど、コメントに書いちゃった。
6 月 14th, 2007 on 22:48:38
詳しいご説明ありがとうございました。さすがに小学校ではここまでは教わりませんでした。
それにしても古河側と田中側の書き方、ずいぶんと違うものです。真実がひとつじゃなく、いくつも存在する。過去の歴史に限らず、日々目にしている新聞やテレビのニュースでも、同じことが起きているのかもしれませんね。